朝ドラキャストとと姉ちゃん!母小橋君子と木村多江!史実の母は

ドラマでの常子の母親・小橋君子と、小橋君子を演じる女優の木村多江、

またドラマのモデルで暮らしの手帖の作者・大橋鎮子の史実の母・大橋久子に
ついて調べました。

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◆ヒロインの母・小橋君子(こはし きみこ) shinnen_aisatsu_obasan.pngおばさん着物

ドラマの小橋君子は、常子、鞠子、美子3姉妹の母親。東京深川の
材木問屋のひとり娘。
おっとりしていて、天然だが、心はしっかりものの良妻賢母。

「幼い子どもでも、一個人として尊重し、当たり前の日常を大切にする」
という亡き夫の教えを胸に娘達を育てる。

夫の死後、生活に困窮し、竹蔵との結婚に反対されて絶縁した実家の
母・青柳多喜子(大地真央)を頼り、娘達を連れて上京するが、

家族を犠牲にしても家業を大事にする母に反発し、独り立ち
しようとする。

※こちらの母娘の関係も面白そうですね。

◆小橋君子を演じる木村多江(きむら たえ)

木村多江の画像とプロフィールは>>こちら

木村多江の朝ドラ大河ドラマの出演は

朝ドラでは
2006年4月 – 6月 連続テレビ小説『純情きらり』で若山百合子 役

若山百合子は、ヒロイン桜子(宮崎あおい)の夫・松井達彦 (福士誠治)が
戦場で見捨てることになってしまった若山哲平の姉。
戦地から帰った達彦が桜子と共に訪ねる女性役。

※「純情きらり」でも西島秀俊と一緒に出場していたのですね。

                   
大河ドラマでは
『新選組!』第6話(2004年2月15日)で ヒュースケンの恋人・お富 役

ヒュースケン(1832-1861)とは、オランダ人で、幕末の駐日米国公使館通訳官。
1856年ハリスの通訳官として伊豆下田にきて日米修好通商条約の交渉で
ハリスを助けた。
オランダ語、英語、ドイツ語、フランス語に通じていたが、江戸で尊王攘夷派の
鹿児島藩士に殺害される。28歳でした。残念でした。お富もかわいそう。

『功名が辻』第1話及び第2話の回想シーン(2006年1月8日・15日) –
とも(千代の母)役
山内一豊の妻・千代の母・とも(友)役。 

ともは友順尼と言われ、生家より伝えられていた東常縁直筆の古今和歌集
を守り持ち続けていました。
娘の千代にそれを渡したので、千代の死後、山内家から徳川幕府に献上
されたことが徳川幕府の記録に残っているとのこと。

ドラマが終わってからも、色々面白いことがわかりますね。

木村多江のドラマは他にも色々見ましたが、母親役が多く、
まさに母親役がぴったりの女優だと思います。

木村多江のエピソード

木村多江は、自分が望むこととは逆のことをしてしまう傾向があるとかで、
今のご主人(大手広告代理店・電通の方)に交際を申し込まれたとき、
お断りするつもりが、いざとなると「はい」と答えてしまったそうです。

結婚を決めるときも、姑さんが「芸能人」と結婚するのはどうかと心配
していると聞いて、お断りしようとしたのに、お姑さんにお会いしたら
そのまま結婚話になってしまったとのこと。

お姑さんに気に入られたのですね。

どういうんでしょう。本当にいやだったら断るはずですから、本当は
好きになっていたのだと思います。

今はお子様もいて良い家庭を築いているようですから。

ドラマでも優柔不断なところをよく演じていますよね。

◆史実の母・大橋久子(おおはし ひさこ)

大橋久子は、結婚前は大宮久子でした。

京都で生まれ、北海道の小樽(おたる)に移ります。
北海道庁立小樽高等女学校を卒業後
東京本郷菊坂の女子美術学校に通います。

久子の父(鎮子の祖父)は、明治維新の前に
小倉藩の小倉城の中で、砲撃を受けていた時に生まれたそうです。

明治維新を経験し、新潟で油田を掘り当て、北海道に渡り
小樽に居を構えたのです。

その後、広告代理店を起こしたり、鉱山の仕事をしたり、
農場を経営したりと色々のことをしたようです。

久子は女子美術学校に通っていた頃、休みには小樽に帰って、
当時小樽で一番大きい産婦人科の岡本病院に出入りしていて
そこでお父さんの大橋武雄と出会い東京で結婚したのです。

※しかし、女子美術学校の学生であった久子と東京で働いていた武雄
がなぜ小樽の産婦人科に出入りしていたのでしょう。

東京で働いていた武雄が北海道に行ったのは、日本製麻株式会社の
工場があったから出張で行ったのだと思われます。
産婦人科には営業で行っていたのかも知れません。

まあ北海道が縁で結婚したのは確かですね。

大正8年(1919年)に東京で結婚します。
翌年鎮子が生まれ、2年後には、武雄が転勤で家族で北海道に移り、
妹二人は北海道で生まれ、子どもたちは北海道で育ちます。

大正15年(昭和元年)に武雄が結核と診断されると退職して一家で
東京に戻り、武雄は鎌倉の病院に入院します。

そして、昭和5年、武雄はドラマ同様に、鎮子に「お母さんを助けて、
妹達の面倒をみてあげなさい」と頼むと、息を引き取ってしまいます。

未完

 

 

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