朝ドラキャストとと姉ちゃん!小橋常子と演者達!モデル大橋鎮子も

ヒロイン小橋常子と、小橋常子を演じる子役の内田未来、
大人役の高畑充希、「暮らしの手帖」を作ったモデルの大橋鎮子の概略を調べました。

これらを通して、ヒロイン小橋常子のイメージが湧いてくるように思います。

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◆ヒロイン・小橋常子(こはしつねこ)

11歳の時に亡くなった父・小橋竹蔵との「ととの代わりになって
かかを助け、妹達の面倒をみる」という約束を胸に、わずか11歳から
奮闘することになります。

好奇心旺盛で、物おじしない性格、ユニークな発想で底抜けに
明るく、次々に困難を克服していきます。

そんな中で、自由に生きられない女性達に接するうちに
女性の生活の役に立つ仕事をしたいと思うようになり、
女性総合雑誌「あなたの暮らし」を創刊します。

◆小橋常子の演者たちhashiru_girl.pngポニーテール

小橋常子の少女期を演じる内田未来(うちだ みらい)

内田未来の画像とプロフィールは>>こちら

内田未来は2012年に、やはりNHKの連続テレビ小説で
「梅ちゃん先生」のヒロイン梅ちゃん先生
(演者:堀北真希)の幼少時代を演じていましたね。

あれから4年、子供の成長は速いもので、すい分しっかりして、かわいくなりました。
もう少し子供時代を長くしてもらいたかったですね。

あっというまに大人役の高畑充希になってしまって残念です。

実話ではお父さんのお葬式は、11歳のヒロインが取り仕切ったそうですから、
未来ちゃんのしっかりした演技が見たかったのに、お葬式も無かったようですよね。

でも未来ちゃんは、未来にもきっとすてきな女優になること間違いなしです。

小橋常子の大人期を演じる高畑充希(たかはた みつき)

高畑充希の画像とプロフィールは>>こちら  

高畑充希は 2013年 NHK連続テレビ小説 「ごちそうさん」に出場しました。

ヒロインの卯野 め以子(うの めいこ)(演者:杏)が結婚した相手・ 西門悠太郎
(にしかどゆうたろう)(演者:東出昌大)の妹、つまり義理の妹役でした。

歌声がきれいだったことだけは記憶しています。その歌声がかわれて、
梅酒のCMに出たり、活躍しているようですね。

ごちそうさんでは杏さんと 東出昌大が良い夫婦役でしたが、
そのまま実際に結婚して夫婦になったのにはびっくり。

あのままのお似合いの夫婦なんでしょうか。子供も生まれたようで、良かったです。

高畑充希も25歳頃ですが、彼氏はいるのでしょうか。
ちょっと調べてみましたが、今のところ特定の彼氏はいないようです。

当分は仕事が忙しそうですからね。

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◆モデル大橋鎮子(おおはし しずこ)について

生い立ちを年表にしてみました。概略が分かったように思われます。

  • 1920年(大正9年)3月10日 父・大橋武雄(日本製麻勤務)と母・久子の長女として、東京・麹町の榊原病院で生まれる。
  • 1921年(大正10年)1歳。父の転勤のため北海道に移住する。 
  • 1926年(大正15年)5歳。父が肺結核と診断され退職して東京の父の実家(牛込)に戻る。その後5年間、父の療養のため鎌倉、伊藤、大森などを転々とし、家族で父の看病に明け暮れ、大井町に落ち着く。
  • 1930年(昭和5年)10歳。父・武雄が死去(享年38歳)。鎮子小学5年生、11歳で父の葬儀の喪主を務め挨拶もしたそうです。

※わずか11歳で葬儀の喪主を務めるなんて遭遇したことがありません。 もちろん母親が父との約束を守ろうとする鎮子さんを立てて、助けたのでしょう。

この頃からもう父親の代わりになることを強く自覚していたのですね。
このような体験を重ねて、度胸のある人間になれたと鎮子さんは自叙伝に
書いています。

  • 1934年(昭和9年)14歳で練り歯磨きを製造販売するが失敗する。

※ドラマ「とと姉ちゃん」では鳩を捕まえて売ることになりますが、
全然関係がないですね。

  • 1937年(昭和12年)17歳で東京府立第六高等女学校(現東京都立三田高等学校)を卒業。日本興業銀行に就職し、調査課に勤務する。

※ここで調査月報の編集を手伝う仕事をしたことが後に「暮らしの手帖」の創刊に糸のようにつながったと、鎮子さんは書いています。きっとそうだったのでしょう。

  • 1940年(昭和15年)20歳で日本興業銀行を退職し、日本女子大学に入学。
    1年後に肺結核にかかり学業を断念、大学は中退する。

※ここで前回の朝ドラ「あさが来た」のモデル・広岡浅子が設立した日本女子大学が
でてくるのも面白いですね。何かでつながっているような気がします。

でも肺結核になってしまって残念なことでした。この頃にはストレプトマイシンも
できて完治することができたのは本当に良かったです。父親が肺結核で亡くなって
いますから、自分も死ぬことを覚悟したかもしれません。

    • 1941年(昭和16年)療養を終えて、1937年創刊の日本読書新聞に入社し、
      日本読書新聞の変遷を通じてずっと編集部に所属。戦後、日本読書新聞で
      カットの仕事をしていた花森安治と知り合う。
    • 1946年(昭和21年)花森、鎮子、晴子、美子の三姉妹と横山啓一『衣装研究所』を銀座で設立して社長となる。雑誌『スタイルブック』を創刊。
    • 1948年(昭和23年)28歳。花森安治を編集長として『美しい暮しの手帖』
      (後の『暮しの手帖』)を創刊。なかなか売れず苦労する。
    • 1951年(昭和26年)30歳。社名を現在の「暮しの手帖社」に変える。
    • 1969年(昭和44年)49歳から長年にわたってエッセイ『すてきなあなたに』
      を同誌に連載。
  • 1978年(昭和53年)58歳。花森安治が心筋梗塞のため死去(享年66)。
    その後社長兼編集長となる。
  • 1994年(平成6年)74歳。エッセイ『すてきなあなたに』により
    「戦後の一般の人の暮しを豊かにした」として第10回東京都文化賞を受賞。
  • 2004年(平成16年)84歳。横山泰子(妹の息子の妻)に社長を譲り社主となる。
    ※社主(しゃしゅ)とは、あまり聞かない名前ですが、主に新聞社などで用いられる肩書で、組織の持ち主という意味とのこと。
  • 2013年(平成25年)3月23日午前8時37分、肺炎のため
    東京都品川区の自宅で死去(享年93)。

わずか3年前に亡くなったのですね。朝ドラ「とと姉ちゃん」を見せてあげたかったです。
でも事実とかなり違うので、気に入らないかもしれませんね。

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