朝ドラキャストとと姉ちゃん!次女小橋鞠子と女優!史実の大橋晴子

今日10話で、小橋常子(高畑充希)と二人三脚を
頑張ったことで、hair_mitsuami.png三つ編み
ようやく存在感が増したのが次女・鞠子(まりこ)
です。

鞠子はどんな女性なのか、鞠子を演じる女優に
ついて、また史実の次女は誰なのか、
どんな女性だったのか調べてみました。

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◆次女・小橋鞠子(こはしまりこ)はどんな女性?

何事にも積極的で向こう見ずな姉・常子とは正反対で、真面目でクール。
運動は苦手です。

そんなクールな鞠子が、玉置兄弟に亡くなった大好きなとと(父親)のことを
バカにされて、大いに怒り奮起しました。

二人三脚は無理だとヤル気がなかった鞠子は、どうしても玉置兄弟を
やっつけようと頑張って念願がかなったのです。

いつもクールで常子を制するだけではなく、やる時はやるのです。

そんな鞠子は女学校で、女性思想家で作家の平塚らいてうに憧れ、
文学を志すことになります。

それで、常子がつくる雑誌にもかかわり、大いに貢献することになるのです。

前回の朝ドラ「あさが来た」でも、平塚らいてうが出てきましたね。
あさのことを「いけすかない 傲慢おばさん」と面と向かって言い放った
豪傑です。

平塚らいてうの記事はこちら>>平塚らいてう(明)の生涯が超面白い

❖小橋鞠子の少女期を演じた須田琥珀(すだ こはく)

須田琥珀が出演しているドラマです。

須田琥珀の画像とプロフィールはこちら>>

高視聴率22.6%でスタートした朝ドラ「とと姉ちゃん」。
子役の3人がかわいいと評判でしたね。

でも鞠子役(須田琥珀)はおとなしくて、私の印象にはあまり残りませんでした。
三つ編みの長い髪の毛は記憶に残っているのですが、顔が思い出せません。

でも、須田琥珀ちゃんは「ちびまる子ちゃん」で注目されていたとか。
うちの孫たちに人気です。

あっというまに、大人役に代わってしまって、もう少し子供時代を見たかったです。

❖小橋鞠子の大人期を演じる相楽樹(さがら いつき)朝ドラ2回目

 

相楽樹の画像とプロフィールは>>こちら

「とと姉ちゃん」では三つ編みのロングヘアなので、画像のイメージが違いますね。
女優はお化粧やヘアメイク、衣装などで全然イメージが変化するので
なかなか覚えられません。

なんと相楽樹さん、朝ドラ今回2度目とは知りませんでした。

ゲゲゲの女房 第23週(2010年8月30日 – 9月4日)に 女子中学生 役で
出演してました。セーラー服です。

気づかなかったです。

相楽樹のエピソード

とと姉ちゃんの妹・鞠子は、運動が嫌いな妹ですが、相楽樹さんは、
実はスポーツ好きでなんでもできるそうです。

特にゴルフが好きで、もう5年のキャリアがあるとか。
現在20歳ですから、15歳から始めたのですね。すごーい。

趣味は、色々なガムを食べること・刑事ドラマを見ること・猫にいたずらすること。

ガムを食べるのが趣味とはめずらしいですね。ガムを噛むことは頭の血流
を良くし、認知症予防になります。私もやろうと思っているところです。

本人は「何事にもやりたくなったらすぐやる性格」と言っています。
とと姉ちゃんの鞠子とはえらく違いますね。
どんな性格でも演じてしまえるようです。

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◆史実の次女は大橋晴子(おおはし はるこ)

「とと姉ちゃん」に登場する小橋鞠子の史実のモデルは大橋晴子
(結婚後:横山晴子)です。 どんな人なのでしょう。年表にしてみました。

❖大橋晴子の生涯

1922年(大正11年)0歳:
父・大橋武雄(日本製麻勤務)と母・久子の次女として、
北海道の小沢(現在は岩内郡共和町小沢)で生まれる。

1926年(大正15年)4歳:
父が肺結核と診断され退職して東京の父の実家(牛込)に戻る。
その後5年間、父の療養のため転々とし、最終的に、大井町に落ち着き、
姉の鎮子と共に大井第一小学学校へ転入する。

1930年(昭和5年)8歳:
父・武雄が死去(享年38歳)。

1939年(昭和14年)17歳:
東京府立第六高等女学校(現東京都立三田高等学校)を卒業。
東京丸の内にある保険会社に就職する。

1946年(昭和21年)24歳:
姉の鎮子が花森安治に出会い、花森、鎮子、晴子、美子の三姉妹と
横山啓一が『衣装研究所』(後の「暮らしの手帖社」を銀座で設立。
雑誌『スタイルブック』を創刊する。社長は大橋鎮子。

花森安治が、「雑誌を発行するのは銀座が良い」と言うので、次女の晴子が
銀座8丁目の日吉ビル3階に部屋借り、保険会社のお客さんから資金を
2万円(現在の価値では500万円ぐらい)借りて雑誌が創刊されたとのこと。

※花森も鎮子も事業資金のことは考えていなかったそうです。
晴子の実行力はすごいですね。晴子がいなければ、暮らしの手帖は
存在しなかったのではないかと思われます。

横山啓一は、花森安治と大橋晴子の共通の知人で、戦時中に
日本宣伝協会に在籍し、戦後花森と一緒に広告宣伝会社を設立する
つもりが、花森が雑誌を作ることになったので、横山も雑誌作りに
参加することになります。

そしてその後、大橋晴子は横山啓一と職場恋愛結婚し長男(隆)を産み、
その長男の将来の妻(横山泰子)が暮らしの手帖社を
継承して2代目社長になります。

2004年(平成16年)82歳:
横山泰子(晴子の長男の妻)が社長に就任。

2010年(平成22年)88歳:
副社長の阪東宗文が3代目社長に昇格。
阪東宗文は、晴子の娘・紅美子(現取締役)の夫です。

横山泰子は非常勤取り締まり役となり、現在にいたる。

大橋3姉妹の中で晴子だけが結婚して子供を授かりました。
暮らしの手帖社を継承してくれて良かったと鎮子も芳子も
草葉の陰で喜んでいることでしょう。

当の晴子はまだ存命中で、1922年生まれですから、現在
(2016年4月17日)93歳か94歳になっておられるはずです。
とと姉ちゃんをご覧になっているでしょうか。

とと姉ちゃんは、3人姉妹が力を合せて成し遂げた素晴らしい
物語ですね。これからも楽しみです。

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